ゲノムDNAの3次元構造を改変したり、エンハンサーを調節することで遺伝子発現調節するというユニークなアプローチのmRNA創薬を開発しているバイオベンチャー
背景とテクノロジー:
・遺伝子を生体に入れることで、外来性に遺伝子の発現をONにしたりOFFにしたりする治療薬の開発が進んでいる。例えば、Ionis Pharmaceuticalsのヌシネルセン(スピンラザ®)は、SMN2のmRNA前駆体に作用し、スプライシングを調節(エクソンインクルージョン)するアンチセンスオリゴヌクレオチドで、SMN2の発現を特異的に上昇させる。SMN1の機能不全によって起こる疾患である脊髄筋萎縮症の治療薬である。Alnylam Pharmaceuticalsのパチシラン(オンパットロ®)はTTR遺伝子のmRNAに作用し、TTRのmRNAを特異的に分解するsiRNAで、TTR遺伝子の産物であるトランスサイレチンの産生を阻害する。トランスサイレチンの蓄積によって起こる疾患であるトランスサイレチン型家族性アミロイドポリニューロパチーの治療薬である。
・このように生体内で遺伝子の発現をON、OFFすることで、遺伝子変異疾患などのこれまで治療薬がなかった疾患の治療方法が開発されてきている。今回紹介するOmega Therapeuticsも、目的遺伝子をON、OFFする技術を用いてがん、炎症、自己免疫、代謝、希少遺伝性疾患の治療薬開発を目指すバイオベンチャーである。Omegaが開発している遺伝子発現の調節法は最先端の知見に基づいた独自のアプローチである。
・ゲノムDNA上の遺伝子は、遺伝子の上流にあるプロモーターやエンハンサーと呼ばれる領域によってその遺伝子発現のON、OFF、強弱が制御されている。この遺伝子発現はDNAのメチル化やヒストンアセチル化が関与していることが明らかになっており、エピジェネティクスと呼ばれ、DNAメチル化やヒストンアセチル化に関与する酵素群の阻害剤の開発が進んでいる。
・現在、市場にはすでにいくつかのエピジェネティック医薬品があり、ヒストンアセチル化酵素阻害剤であるメルクのリンパ腫治療薬ボリノスタット(ゾリンザ®)、ノバルティスの多発性骨髄腫治療薬パノビノスタット (ファリーダック®)、DNAメチル化酵素阻害剤である大塚製薬の骨髄異形成症候群治療薬デシタビン(ダコジェン®)、ファーミオン(現BMS)の骨髄異形成症候群治療薬アザシチジン (ビダーザ®)などがある。
・最近、DNAメチル化やヒストンアセチル化以外にも遺伝子発現のON、OFF、強弱を制御するメカニズムが明らかになってきている。その一つがOmegaが着目しているInsulated Genomic Domains (IGDs)である。以下にIGDsについて説明する。
・ゲノムDNAが組織や発生時期特異的な発現調節の基本構造単位としてtopology associating domain(TAD)と呼ばれる領域を構成している。TADの説明については図1出典のAASJホームページに以下のように記載されている。
「私たちのゲノムは図に示すTADと呼ばれる構造化された区域が約2000集まってできている。図1に示すようにTADとTADの間には特殊な境界領域が存在し(赤の線で示している)、隣接するゲノム領域が影響し合わないよう3次元的に隔離していると考えられている。一つのTADの中には1〜複数の遺伝子とともに、その遺伝子発現を調節するエンハンサーが存在している。特殊な境界と構造化のおかげで原則として一つのTAD内エンハンサーは隣接するTADに影響できないように隔離されており、このおかげで重要な遺伝子が間違った時期や場所で発現できないようになっていると考えられている。」
図1:topology associating domain(TAD)のイラスト(AASJホームページより転載)
・このTAD内において、さらに遺伝子とその制御領域(エンハンサー)を対応させるための構造的な役割を果たしているのがInsulated Genomic Domains(IGDs)である。
図2:Insulated Genomic Domains(IGDs)の概念図(会社HPより転載)
TADの中で、さらにエンハンサーとそれに対応する(1〜複数個の)遺伝子のセットを区分けするためにInsulated Genomic Domains(IGDs)という領域ができている(図2)。このオメガ型のゲノムDNA構造のくびれの部分に当たるところがInsulator(隣接する染色体環境の影響を遮断するDNA配列)とよばれ、転写因子CTCFとコヒーシンによって繋がれている(くびれの丸い部分)。
・Omegaでは、このInsulated Genomic Domains(IGDs)の構造を解析、健康な状態と病気の状態の両方におけるIGDsの構造をデータベース化し、この構造を基にして遺伝子発現を調節する独自プラットフォームepigenomic programming™を開発している。この構造に基づいて遺伝子発現を制御するために、配列特異的に結合するmRNAを用いた遺伝子発現調節薬Epigenomic Controllers™を開発している。
図3:Epigenetic Controllers™の模式図(会社HPより転載https://omegatherapeutics.com/)
Epigenetic Controllers™は、ゲノムDNAの配列を特異的に認識するドメイン(結合ドメイン)とそのエピゲノム機能を調節するエピジェネティックエフェクタードメイン(機能ドメイン)、標的組織にデリバリーするためのドメイン(デリバリードメイン)の3つのドメインで構成されるmRNA(図3)。
図4:Epigenetic Controller™による遺伝子のアップレギュレーション(会社HPより転載)
図4に示すように、標的遺伝子の発現を上げるためには、Epigenetic Controller™は、エンハンサーに結合したり、遺伝子配列に結合し、遺伝子発現を活性化する。
図5:Epigenetic Controller™による遺伝子のダウンレギュレーション(会社HPより転載https://omegatherapeutics.com/)
図5に示すように、標的遺伝子の発現を下げるためには、インスレーターにおけるCTCF結合を阻害することで、Insulated Genomic Domains (IGDs)の構造を壊したり、エンハンサーに結合することでその機能を抑制する。
・このように目的の遺伝子だけを特異的に発現調節する(Precision Genomic Control™)ことで、単一遺伝子疾患の治療以外にも、例えば、治療が困難ながん遺伝子や成長因子を標的にして調節したり、複雑な多遺伝子疾患を治療したり、細胞のプログラミングや分化を制御したりすることが可能となる。
パイプライン:未開示
コメント:
・mRNAを用いた医薬品はまだ承認されたものはおそらくないが、mRNA技術を用いた医薬品の開発は進んでいる。ModernaのmRNA-1273や、BioNTechのBNT162b2、CureVacのCVnCoVは、いずれも新型コロナウイルスSARS-CoV-2のスパイクたんぱく質をコードするmRNAを脂質ナノ粒子(LNP)に内包化させたmRNAワクチンであり、ModernaのmRNA-1273、BioNTechのBNT162b2は現在Phase III、CureVacのCVnCoVはPhase I治験中である。これらは生体内の細胞(細胞質内)にmRNAがデリバリーされ遺伝子発現することでスパイクたんぱく質が発現し、生体がそのスパイクたんぱく質に対する免疫を活性化させることを狙ったワクチンである。今回のOmegaもmRNAを用いているが、今回は細胞質ではなく、ゲノムDNAのある核内までmRNAをデリバリーする必要がある。
・Epigenetic Controller™の一部で標的細胞へのデリバリーを調節する(デリバリードメイン)とあるが、どのような配列があるとデリバリーが調節されるのだろうか?ご存じの方いらっしゃったら教えてください。
・ゲノムDNAの立体構造を調節することで、治療効果を発揮できるほど強く遺伝子発現が調節できるのだろうか?また、ゲノムDNAの立体構造を崩してしまうことに危険性はないのだろうか?臨床での効果、副作用がどうなるのか知りたいところ。
・スーパーエンハンサーに着目することで、目的遺伝子の発現をON、OFF、UP、DOWNできる創薬標的を同定し、低分子化合物探索プラットフォームを用いてがん創薬を行っているバイオベンチャーSyros Pharmaceuticalsもそうだが、遺伝子発現調節の世界トップレベルの研究者であるMITのRichard Youngがボードメンバーに名前を連ねている。
キーワード:
・遺伝子発現調節
・インスレーター
・mRNA
・がん
免責事項:
正確な情報提供を心がけていますが、本内容に基づいた如何なるアクションに対しても筆者は責任をとれません。よろしくお願いします。
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