スーパーエンハンサーに着目することで、目的遺伝子の発現をON、OFF、UP、DOWNできる創薬標的を同定し、低分子化合物探索プラットフォームを用いてがん創薬を行っているバイオベンチャー
ホームページ:https://www.syros.com/
背景とテクノロジー: ・古典的な創薬では低分子化合物を用いたチャネル・受容体・酵素などの阻害剤による治療法が主流だったが、最近たくさんのモダリティが開発され、新しい介入方法が生まれてきている。例えば核酸創薬ではAlnylam PharmaceuticalsなどによるsiRNAを用いた遺伝子発現抑制や、Ionis Pharmaceuticalsによるアンチセンスオリゴヌクレオチドを用いたスプライシング調節に伴う遺伝子発現上昇など、遺伝子の発現制御をする創薬が可能になってきた。これにより低分子化合物では治療が難しかった遺伝子変異疾患の治療薬が誕生してきている。
・ところが最近、遺伝子発現を制御できる低分子化合物の開発が始まってきている。例えばPTC Therapeuticsが創製しロシュが開発中のRisdiplamやNovartisのBranaplamは、スプライシング調節に伴う遺伝子発現上昇というメカニズムを持つ低分子化合物で(参考)、特異性が非常に高い。つまり、コストがかかり、投与経路や標的臓器が限定される核酸医薬品の欠点をカバーできる、低分子化合物による遺伝子発現制御創薬が広がってきている。
・Syros Pharmaceuticalsは、目的遺伝子の発現制御が可能な低分子化合物の創製を行っているバイオベンチャーである。転写因子や転写制御キナーゼ、その他の転写制御たんぱく質を標的とする低分子化合物を用いて標的の遺伝子の発現をON、OFF、UP、DOWNさせるというコンセプトの創薬を行っている。
・転写因子や転写制御たんぱく質は多くのの遺伝子の発現に関わっていて、これらをターゲットとして創薬すると、多くの遺伝子の発現が影響を受けてしまうと考えられていた。しかし、特定の遺伝子にのみある転写活性の高く、サイズの大きいエンハンサー(スーパーエンハンサー)は特に転写因子・転写制御たんぱく質の制御を強く受けていることが明らかになりつつあり、転写因子の活性調節(転写制御たんぱく質の活性調節)は特定の遺伝子の発現に強く影響を与えることが示唆されてきている。
・しかもスーパーエンハンサーは細胞機能に大切な遺伝子の制御を行っていることが多く、転写因子調節薬(転写制御たんぱく質調節薬)は、治療薬になる可能性が高い。そこでSyros Pharmaceuticalsはがん治療薬としての開発を行っている。
パイプライン: ・SY-1425(tamibarotene) 経口投与可能な選択的レチノイン酸受容体αアゴニスト(低分子化合物)。単剤療法、もしくは骨髄異形成症候群治療薬でメチル化低下効果を持つアザシチジンとの併用療法、もしくは多発性骨髄腫治療薬で抗CD38抗体のダラツムマブとの併用療法。 急性骨髄性白血病、骨髄異形成症候群患者さんの遺伝子解析により、RARA(レチノイン酸受容体αをコードする)遺伝子およびIRF8(転写因子)遺伝子に関連したスーパーエンハンサーが見つかった。レチノイン酸受容体α経路を活性化させるとレチノイン酸受容体αおよびIRF8の発現が上昇し、細胞の増殖が抑制される。
開発中の適応症 ・Phase II 急性骨髄性白血病、骨髄異形成症候群 https://clinicaltrials.gov/ct2/show/NCT02807558
・SY-1365 cyclin-dependent kinase 7 (CDK7)の選択的阻害剤(低分子化合物)。共有結合型阻害剤。静脈内投与。単剤、もしくは標準治療(カルボプラチンやフルベストラント)との併用療法。 CDK7は、転写開始とDNA複製に関与する転写因子TFIIHに必須な構成成分。CDK7を阻害すると発がん性の転写因子や抗アポトーシス分子のスーパーエンハンサーを抑制し、がん細胞の増殖を抑制すると考えられる。
開発中の適応症 ・Phase I 子宮がん、乳がん https://clinicaltrials.gov/ct2/show/NCT03134638
・SY5609 経口投与可能な選択的CDK7阻害剤。
開発中の適応症 ・非臨床研究段階 がん
最近のニュース: ・Incyte and Syros Announce Global Target Discovery and Validation Collaboration Focused on Myeloproliferative Neoplasms(2018年1月8日) Syrosの持つ遺伝子制御プラットフォームを用いて骨髄増殖性腫瘍に関する創薬ターゲット探索などの共同研究をIncyte社と行う契約を締結。7つまでの創薬ターゲットを見出す。
コメント: ・スーパーエンハンサーはMIT教授のRichard A. Youngらが提唱した。詳細はこちら
・CDK7阻害剤はスーパーエンハンサーに関わるMYCファミリー分子MYCNの発現を抑制することも報告されており、注目されている(参考)。
・確かにがん細胞では一部の遺伝子が過剰に発現するので、スーパーエンハンサーのような機構が働いていたりする可能性はあると思う。ただ、ターゲットは普遍的な遺伝子発現を制御している部分もあるので、副作用は少なからずあるだろうから、がん以外でこういった形の遺伝子調節アプローチは難しいかもしれない。
・転写因子そのものをターゲットに低分子化合物で創薬するのは難しいと言われている。それは
①転写因子がたんぱく質ーたんぱく質相互作用で構造的に広い範囲で結合するために低分子では阻害しにくいため
②転写因子には低分子がくっつくポケットが存在しないことが多いため
と言われている。そのため、古くからがんの創薬ターゲットであるp53やMyc, Rasを直接的に制御する低分子の承認薬はまだ作れていない(はず)(追記:2020年前後の研究で、低分子化合物のKRAS阻害剤が報告されている)。Syrosはうまくターゲット分子を選んで転写因子を制御する創薬を行っているが、今後どのような新たなターゲット分子が出てくるのか注目したい。
キーワード: ・遺伝子発現制御 ・転写因子 ・低分子化合物 ・スーパーエンハンサー
免責事項: 正確な情報提供を心がけていますが、本内容に基づいた如何なるアクションに対しても元製薬研究員ケンは責任をとれません。よろしくお願いします。