時々思うのは、
数十年前の創薬研究者はどうやって薬作っていたんだろう?
という疑問。今よりも疾患のことは分かってないことばかりだったし、実験技術も進んでなかったし。そんな中で薬を作ってたんだなーと感嘆します。現在使われている多くの薬が、そんな状況で作られてたという事実を考えると自分自身が薬が作れてないのはだめだなーって思ってしまいます。今はこんなにいろんな知見や技術が分かってきているのに。それでよく考えてみると
薬ってよく分かってないところから作るっていうのもいいのでは?
と思います。
大学の研究は「分かっていないことを明らかにする」
のが目的です。新しいことを世界で一番に発見して論文に報告するということです。一方で、
製薬の研究は「とにかく新しい薬を作る」
ことです。この「とにかく」という言葉には、疾患の分子メカニズムが分かっていようがいまいが、何であろうがって意味が含まれてます。大学院生とかポスドクで、大学に残るか、製薬に行くか悩んでいる人はたくさんいると思いますが、このところを分かっておいたほうがいいんじゃないかなって思います。もちろん、昔の創薬とは違って、今ではそれなりの科学的根拠があった上で創薬するのが普通です。でも、昔は「分かってないことが多い中でそれを明らかにしないでも薬を作る」っていうのが普通だったんですから、これに対して抵抗感がある人は大学マインドが強いかもしれません。一方で新しい発見よりも、モノづくりがしたい人。科学は後からついてくるんだ!という気概を持って、推論をベースにした中でも突き進める人は創薬向きではと思います。大学マインドを持って創薬するのが一般的になってきているのはそうなんですが、でもやっぱり「実験動物ではこうだけど、ヒトでどうなってるかは分かってない」とか、よく分からない部分がある中でそれを明らかにするのは後回しで、とにかく薬を作るってのは、創薬ではよくあることだし、そういう状況でも突き進むべきだと私は思います。
創薬に携わった経験がない人にとってイメージするのは難しいとは思いますが、分からないことが多い中で推論をベースとしながら不安定な仮説の元で薬を作っていくのはかなり精神的に難しいことです。常に
こんなんでほんとに効くの?
って思いながら創薬しないといけないからです。もちろんそんなに手間がかからずに証明できるものはやらないといけません。でもコストや時間を概算して証明すべきかそうでないかを考え、そうでないなら不確かな状態でも薬にしていくことが求められると思います。
分かってる事実で薬作りできればベストですが、そうも言ってられない
ってのがほんとのところかなって思います。参考になれば幸いです。ご質問ご意見はお気軽にkenyoshida36@gmai.comまたは下のコメント欄まで。